事務局だより2018年春

4月始めに松爺こと98歳の阿部さんを連れて、私の実家のある平泉と仙台に行って参りました。仙台はちょうど桜の見ごろで、高森市民センターの周りの公園がとても素敵でした。現地で松爺に会いに来てくださった皆様、仙台の温古堂の橋本先生、本当にありがとうございました。

☆仙台「松葉軍医」こと橋本敬三先生のこと☆
1897年(明治30年)福島で生まれ、 新潟医専、東北帝大医学部で医学を学ぶ。
1926~1941年 函館に赴任。函館在住の期間に、正體術を高橋迪雄の高弟・奥村隆則に学び、これが 操体法の土台となる。
1941年(昭和16年)仙台に治療院「温古堂」を開設する。 戦時中、一時ソビエト連邦に抑留された。その時、松葉を食べさせ て5000人もの兵士の命を救ったとして「松葉軍医」「松葉おやじ」 と呼ばれるようになる。
1948年帰国。以後、仙台で操体法の研究を深め、生涯指導にあたっ た。昭和50年頃から操体法がテレビなどで紹介されるようになっ た。
1993年(平成5年)96歳で永眠。  (ウィキペディアより)

私達双子が生まれた時に(40年も前のことです(#^^#))、母が体育大学時代の器械体操での怪我もたたり、全く立てなくなりました。そこで父 がテレビで橋本敬三先生を拝見し、母を仙台に連れて行きました。

橋本先生は、母に「楽にな、楽に。楽に動けばいいんだ。」 その言葉で母は「これだ!」と開眼!! 4人の子供、自営業での重労働、腰痛・・八方塞がりの母でした。 以後、足繁く私達双子を連れて温古堂に通い操体法を学びました。

岩手にも橋本先生は度々足を運んで操体法の指導をしてくれたそうです。

「あんたなんか、橋本先生にたくさん頭、撫でてもらったのよ。」とのこと。

母が一生懸命なものに限って、若い娘は興味を示さない。そんな私の青春時代でしたが、同じように 嫁に行き、同じような経験をした時、松葉という形で再び橋本先生に救われた…。そんな有り難いような、信じられないような気持ちで、松爺を連れて「温古堂」にお邪魔して、お写真を拝見し、手を合わせて参りました。       吉塚小織